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板門店 |
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韓国映画「JSA」にも登場した、板門店(パンムンジョム)。ここは韓国の南北分断の悲劇の象徴だ。朝鮮半島の緊張が高まるとき、もっとも注目される場所でもある。ここ最近は、韓国映画「シュリ」、「JSA」、「2重スパイ」や日本人拉致問題などもあって、北と南の関係に関心が非常に集まっている。ソウルを北上すること約62km、北朝鮮の開城(ケソン)からは、わずか10km、緯度で北緯37度、東経126度の位置。そこには朝鮮半島を南北に分断する軍事境界線が今もなお存在している。軍事境界線のそれぞれ南北2kmずつ(合計4km)が非武装地帯(DMZ)となっており、緊張状態が続く。
民族の分断の悲劇は、1945年の日本敗戦による朝鮮半島の解放の後、米ソの冷戦の影響を受けて始まった。1950年には、韓国戦争(朝鮮戦争)が勃発。1953年に休戦協定が結ばれ、北と南に朝鮮半島が分断した。ご存知の通り、北は朝鮮民主主義人民共和国、南は大韓民国が誕生した。しかし、その為に数多くの家族が北と南で離れ離れになってしまい、現在でも1千万人を越える離散家族の問題は、南北が抱える大きな問題のひとつとなっている。
板門店という名前は、朝鮮戦争後の休戦会談に參加する中共軍の代表達が会談場所を容易に探せるようにと、当時会談場所の近くにあった煙草屋を兼ねた店の名前を漢字で「板門店」と表記したことに由来するそうだ。
当初は、休戦協定締結後の1954年11月の協約でJSA(共同警備区域)が設置されていた。これは、南北4kmの非武装地帯(DMZ)内に軍事停戦委員会の本部地域を設置し、その中の直径800mの狭いエリアをJSA(共同警備区域)とし、南北のそれぞれが6カ所の警備所を運営し、35人の兵士を配置した。JSA(共同警備区域)の中で両軍の兵士は、お互いに往来することができた。しかし1976年、北側がアメリカ人将校を斧で殺傷する、「ポプラ事件」が起きたことで軍事境界線が復活、両軍は相手方のエリアへは進入禁止となった。
軍事分界線の真ん中には、有名な「帰らざる橋」がある。なぜこのような名前がついたかというと、1953年の休戦以後この橋の上で北と南の捕虜交換が行われた。捕虜交換の際に南に進むか北に進むか一旦決まったら、もう2度とこの橋を渡って反対側には帰ることができない、ということからこのように呼ばれるようになったのだ。前述の「ポプラ事件」がおこる前までは、共同警備内の兵士達はこの橋の上を行き来していた。しかし事件発覚から、今に至るまでこの橋の上を渡ることができる人間は誰もいなくなってしまった。橋の上を渡る、鳥だけが自由に南北を往来する。
同じ民族が北と南で分断され、別れた家族、恋人、友人達は会いたくても50年経った今でも自由に会いに行くことも、連絡を取り合うことも許されない。時が流れ、北や南の故郷に一度でいいから足を踏み入れたいという願い・ハン(恨)を胸に、無念の思いで息を引き取るハルモニ・ハラボジ(おばあさん・おじいさん)達。多くの人々が、一日も早い祖国統一の実現を願い、板門店が過去の遺物となることを夢見ている。
板門店ツアー
日本人の板門店見学ツアーはソウルにある指定旅行社を通じてのみ可能。但し、10歳未満の子供は参加できない。当日はパスポートの携帯が必須で、服装は軽装にしなければならない。ジーンズやミニスカート、サンダル、ノースリーブなどの肌の露出が多い服、迷彩服等は着用禁止となっている。また、
観光前の飲酒も禁止だ。南北情勢や国家行事等で当日中止になる場合もある。日曜日と祝日はツアーは休み。
戦争記念館
竜山洞(ヨンサンドン)にある戦争記念館(チョンジェン キニョムグァン)には韓国戦争(朝鮮戦争)に関する資料が多数展示されており、入り口には1950年-1953年の韓国戦争(朝鮮戦争)で実際に使われた戦車などがおかれている。梨泰院(イテウォン)の近くなので、こちらも機会があれば足を運ぶとよいだろう。
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