監督よりも俳優のほうが残酷で精神的にタフなんじゃないかと思う。ソナが初めて客を取るシーン、それをマジックミラーの向こうで撮ってるわけだけど、監督が途中で「カット、カット!」で叫ぶんだ。あまりに居たたまれなくなったんだね。でも俺は言った。「良く撮れてるじゃないか、続けよう」って。
ソナ役のソ・ウォンは撮影中ずっと役柄に同化してたね。お互い殆ど言葉を交わさなかった。けど、最後にハンギがソナを開放するシーン、あれは撮影の半ばに撮ったんだけど、あのシーンを撮り終えた後に彼女がポロッとこう言ったんだ。「これは今撮るシーンじゃない」って。それで、あぁコイツは本当に役にどっぷり浸かってたんだなぁと実感した。
僕は自分を自由に、自然に開放させておきたいんですよ。俳優として、常にそういう姿勢でいたいね。成功作ばっかり連発するんじゃなくて、時には失敗もする、そこからまた得るものがあるんだ。今の自分に安住するのでなく、常に挑戦していたい。どこに飛んで行くかわからない、ラグビーボールのような面を持っていたいですね。
下積み時代と言っていいのかな、僕は長い間助演の位置に留まっていたでしょう。チョ・ジェヒョンという俳優が広く知られるようになったのはここ2、3年のことです。韓国では脇役って言ったら大体がコミカルな役どころなんだ。僕自身、そういう面が多分にある人間だから自分に合っていたってこともあったけど、俳優としては役柄の幅を狭めてしまうよね。それで何とか既存のイメージを打破したいという気持ちが強かったんだけど、そのきっかけを作ってくれたのがキム・ギドク監督だね。彼には僕のまた別の一面を引き出してもらった。
これからはもっと生のままの自分を出して行きたいと思っている。実際的で事実を追うような。それからもう一つ。実際の年齢に拘らず、色んな年齢の人物を演じたいね。95年の「永遠なる帝国」という映画に出た時に、冒頭と終わりのシーンで老人の扮装をしたことがある。来年の舞台でも17才の役に挑戦するんだけど、自分をそういった多様な設定に置きたいと思っている。
「悪い男」のハンギ役は全く自分とかけ離れてる人物像だから、人となりを理解するのに苦労しましたよ。理解なんて出来ないね。ハンギみたいな人物は実際にはなかなかお目にかかれないでしょう。でも演じるからにはコイツはどういう思いでこの行動をするのかってことを少しでも自分の中で納得させる必要がある。幸いにして、おおかたの撮影がストーリー通りに進んだんですよ。だから少しずつハンギという人物を噛み砕いていくことができたんだと思う。自分がハンギを追いかけて行くような感じだ。そうしていくうちに、ある瞬間だね、ヤツを掴まえた、っていう感覚にとらわれたことがあった。演技の上手い下手という次元ではなくね。ハンギと自分の共通点…うーん…。僕は自分がどういう人間であるかもよくわからないからね。敢えて言うなら、執着する所かな。
監督とは人物像に関して色々話し合ったりはしなかったですね。キム・ギドク監督は役柄を消化して行く作業を全て俳優自身に任せるんだ。お互い信頼感を持って仕事をしているし、監督から演技に関してあれこれ指示が出るということもないですね。
撮影に入る前に役柄の全てを理解なきsゃならんってことはないと思う。7、8割はこういうものなのかという準備をしておいて、撮影に入れば進んで行くうちに自然に役柄が自分の中に入って来る、そういうアプローチ法ですね。
「悪い男」という映画は、現代の社会全体を捉えたものではないわけです。ほんの一部分、極めて特殊だが現実に存在するある一部分を拾った作品なんだ。映画っていうものはいつもそうなんじゃないかな。この映画は賛否両論の激しい作品でしたね。特に最後の場面、あれはないんじゃないかっていう観客の声を多く聞いたよ。外国の映画祭でも本当に多くの批判を受けた。しかし僕は、その国の文化的背景や道徳的価値観を持って映画のある一部を評価するとしたら、この作品をうまく理解することができないんじゃないか、と思う。純粋に映画作品としての評価をしてもらいたい。
ハンギっていう人物は、今を生きる我々の先を行く人物じゃないかという気がしている。問題の最後のシーン、あれはまさに衝撃的なラストだ。しかし100年、200年前の人間から見たら、我々が今こうしてここに座っているということだって充分に衝撃的なはずだ。果たして、これからずっと先の未来においても、ハンギの行動が衝撃的なものかどうかは誰にもわからないんじゃないか。
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